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枕橋(源兵衛橋)

隅田川から北十間川に水が流れ込むジャンクションに架かるのが枕橋。

本所・源兵衛橋(後の枕橋)の北詰にある「さなだや」という店の蕎麦を・・・・・大川べりに出たとき、橋向こうのそば屋に気がついたのだ(「蛇の眼」)
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蕎麦屋の「さなだや」は橋の北詰にあるという。
こちらのブログによると、橋の東側は水戸屋敷になっていて蕎麦屋があるはずはない。
現在、西側(隅田川側)にあるのは閉店してしまったと思われるパン屋。
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自動販売機の売り上げだけで商売しているのか。
しかも高速道路の下で、なんとなく薄暗い。
この店の向こう側(北側)は公衆トイレで、「さなだや」があったのはこちらのほうかも。

しかしこのパン屋の対面、
すなわち水戸屋敷があったという橋の北詰東側には、
高架下にもかかわらずこんな店ができていた。
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枕橋茶屋
ちょうど店休日だったので中はのぞけなかったが、
スカイツリー観光の案内などもしているカフェだそうだ。
場所はちょっと違うが、「さなだや」の雰囲気は味わえるかもしれない。


北十間川の先には建築中の東京スカイツリーが見える。
この川の道は、浅草~スカイツリーの観光ルートとなり得るだろうか?
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# by waterways | 2011-02-10 16:25 | 水辺で旅する鬼平犯科帳

今戸橋(山谷堀)

鬼平が舟で隅田川(大川)から山谷堀に入っていく、
または逆に山谷堀から出てくるシーンは複数あるようだ。

そのまま東へ、入谷田圃を突っ切り、浅草寺の裏から山谷堀に出た。
今戸橋に「嶋や」という、平蔵にはむかしなじみの船宿がある。(「血闘」)


山谷堀沿いには吉原がある。
江戸きっての遊郭、吉原が日本橋から現在の日本堤に移転したのは17世紀半ば。
1656年(明暦2年)、江戸幕府の令により移転が始まったという。

どうしてこの場所だったのか、その理由は手持ちの資料にないが、
浅草から山谷堀を舟でやってくる客の便を考慮したことが一因であることは間違いない。

山谷堀はすでに暗渠になっていて、
隅田川とのジャンクションはこんな感じでわかりにくい。
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ジャンクションのそばには、これもたびたび登場する待乳山がある。
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待乳山のふもとにあるのが今戸橋。ここに「嶋や」があったはずだ。
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山谷堀の暗渠の上は遊歩道になっていて、多少は往時の面影をたどることもできる。
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隅田川方面を振り向くと、またもやスカイツリー。
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遊歩道に立てられていた案内板によれば、
山谷堀には隅田川側から
今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、
紙洗橋、新地方橋、地方橋、日本堤橋、

以上9つの橋がかかっていたそうだ。

鬼平の時代にはどの橋があって、その橋がなかったのか。
それは後日の課題とする。


物語から離れるが、せっかくなので山谷堀を散歩。
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吉野橋。
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正法寺橋。
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山谷堀橋。
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紙洗橋。
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地方新橋。
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地方橋。
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地方橋から先は遊歩道がなくなっていて、日本堤橋の位置は確認できなかった。
# by waterways | 2011-02-09 10:11 | 水辺で旅する鬼平犯科帳

鎌倉河岸&鎌倉橋(日本橋川)

日本橋川に面した鎌倉河岸には、密偵・小房の粂八が開くおでん屋台がある。

鎌倉河岸の居酒屋豊島(「老盗の夢」)

いまも粂八は、夜になると、
鎌倉河岸に「おでん」お燗酒の
屋台店を出している。(「暗剣白梅香」)


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橋詰に立てられた看板によると、
徳川家康が江戸に入場した1590年にはすでにこの場所は湊として機能しており、
17世紀中ごろには「鎌倉河岸」と呼ばれるようになった。
その由来は、鎌倉付近から取られた石材がここで陸揚げされ、
江戸城の築城に使われた、という説が有力だとか。
そして江戸中期には木材や竹などがおもに陸揚げされていたという。

ちょうど、河川清掃の船が鎌倉橋の下を通り過ぎるところだった。
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# by waterways | 2011-02-02 15:57 | 水辺で旅する鬼平犯科帳

2008年8月21日 9:30頃 千住大橋

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もう8月も終わりなんだね。

今日は珍しく川面清掃船。
# by waterways | 2008-08-21 19:26 | 千住大橋定点観測

日本橋蛎殻町

日本橋蛎殻町は、東京と銚子などの間を航行していた「通運丸」が起点にしていた場所だ。

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「蛎の殻くらいしか取れない」貧しい漁師町だったということから名付けられたとか。



通運丸が発着していたと思われるポイントは、現在こんな感じで、
高速道路がかぶさってしまっている。
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# by waterways | 2008-03-14 18:35 | 新・利根川汽船航路案内