鬼平が舟で隅田川(大川)から山谷堀に入っていく、
または逆に山谷堀から出てくるシーンは複数あるようだ。 そのまま東へ、入谷田圃を突っ切り、浅草寺の裏から山谷堀に出た。 今戸橋に「嶋や」という、平蔵にはむかしなじみの船宿がある。(「血闘」) 山谷堀沿いには吉原がある。 江戸きっての遊郭、吉原が日本橋から現在の日本堤に移転したのは17世紀半ば。 1656年(明暦2年)、江戸幕府の令により移転が始まったという。 どうしてこの場所だったのか、その理由は手持ちの資料にないが、 浅草から山谷堀を舟でやってくる客の便を考慮したことが一因であることは間違いない。 山谷堀はすでに暗渠になっていて、 隅田川とのジャンクションはこんな感じでわかりにくい。 ジャンクションのそばには、これもたびたび登場する待乳山がある。 待乳山のふもとにあるのが今戸橋。ここに「嶋や」があったはずだ。 山谷堀の暗渠の上は遊歩道になっていて、多少は往時の面影をたどることもできる。 隅田川方面を振り向くと、またもやスカイツリー。 遊歩道に立てられていた案内板によれば、 山谷堀には隅田川側から 今戸橋、聖天橋、吉野橋、正法寺橋、山谷堀橋、 紙洗橋、新地方橋、地方橋、日本堤橋、 以上9つの橋がかかっていたそうだ。 鬼平の時代にはどの橋があって、その橋がなかったのか。 それは後日の課題とする。 物語から離れるが、せっかくなので山谷堀を散歩。 吉野橋。 正法寺橋。 山谷堀橋。 紙洗橋。 地方新橋。 地方橋。 地方橋から先は遊歩道がなくなっていて、日本堤橋の位置は確認できなかった。
by waterways
| 2011-02-09 10:11
| 水辺で旅する鬼平犯科帳
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