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鎌倉河岸

日本橋川の鎌倉河岸に、所用があって月に数回行く。
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なんで江戸(東京)のど真ん中に鎌倉なのか?
それは、江戸城築城の際に、鎌倉周辺で切り出された石がこの河岸に揚げられたから・・・・・
だと最近まで勘違いしていたが、
橋のたもとにある説明書きを見ると、そうではなかった。
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この河岸を仕切っていたのが、鎌倉から移ってきた材木商だったことからネーミングされたという。
# by waterways | 2013-10-22 20:56 | 運河と川

愚劣で空疎な名称

九段下付近、日本橋川にこんな橋が架かっている。
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歩行者専用のこの橋、名前を「あいあい橋」という。
橋詰に掲げられたプレートを読むと、
元々は「新飯田橋」といったそうだが、戦災で消失。
2001年に再架橋される際、この名前が付いたとのこと。
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由来は飯田橋Idabashiの頭文字「I」、
住民から愛される「愛」をかけたものだとあるが、
なんとも安直で空々しい。
「新飯田橋」でよいではないか。

聞くところによると、「希望が丘」という地名は全国に何十とあるそうだ。
もちろん、そんな地名が昔からあったわけではなく、
ニュータウンなどの造成時に人為的に創作されたもの。

それと同じような発想か。

あいあい橋の一本南側にある「俎橋」は、
その名称を江戸時代から受け継いでいて、
『鬼平犯科帳』にもその名が登場する。

これが「あいあい橋」南下だったら、目も当てられない。
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# by waterways | 2013-06-30 14:33 | 川担当行政の愚のグ

目黒船入場

目黒川沿い、東急東横線の中目黒付近に、
船のロープをまきつけるボラードのようなものが並んでいる。
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見ると「目黒船入場」というのだそうで、
昔は船着場があったそうだ。
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最近は、目黒川も船が結構上流まで入ってこられるようになったそうだ。
今は公園としてしか機能していないこの場所も、
船着場としての復活はないのか?
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# by waterways | 2013-06-25 13:50 | 運河と川

御茶ノ水・聖橋から神田川を臨む

神田祭に行ったときに、御茶ノ水の聖橋から撮影した風景。
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JR中央線と丸の内線が交差するポイントとしても有名な場所、
その下を神田川が流れている。

川とはいっても人間が掘削した運河。
江戸時代には物流の要であった。
# by waterways | 2013-06-13 16:45 | 運河と川

三ツ橋の現在 ~楓川、京橋川、三十間堀の川筋を追って~

現在はそのほとんどが高速道路に姿を変えてしまったが、
銀座から日本橋にかけて、いくつもの掘割(運河)が存在した。

『鬼平犯科帳』にはそれらの水路が何回も登場するが、
特に、楓川、京橋川、三十間堀のジャンクションは、
著者・池波正太郎氏が証券マン時代に勤務した兜町エリアにあることもあり、
自身の思い出とともに、物語の舞台として欠かせない存在になっている。

これら3つの掘割は、
大雑把に京橋川が東西に、楓川が南北に横たわっていて、
3つの橋がコの字型に架けられていた。
三ツ橋の現在 ~楓川、京橋川、三十間堀の川筋を追って~_c0068946_16181198.jpg


ここは「三ツ橋」とも呼ばれていたそうで、
その名前を冠した飲食店を発見。
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江戸橋をわたって昭和通を銀座の方向へすこし行き、
左へ折れると楓川にかかった兜橋へ出る。
(中略)
その楓川が西南へのびるところ、
京橋の下をながれる京橋川と合する。
そこに〔三ツ橋〕とよばれる、
三つの橋があった。
(鯉肝のお里)


お静は路地を飛び出し、
川沿いの道を、
また、真福寺橋まで引き返した。
そこは、楓川にかかる弾正橋、
京橋川の牛の草橋、
三十間堀の真福寺橋の三橋が
十文字に交差する三つの堀川へ接近して架けられてい、
世にこれを「三ツ橋」と呼ぶ。
(男色一本饂飩)



楓川の入口に架けられていたのが弾正橋。
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欄干の跡が今も残っている。

京橋川には白魚橋。
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こちらは、現在は高速道路下の駐車場くらいにしか名残がない。
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弾正橋の対面、三十間堀の入口には真福寺橋。
ここだけは、橋の跡形も名残もないが、
ほぼ同じ位置にあると思われるのが新金橋。
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実際の真福寺橋は新金橋よりやや北寄りにあり、
その橋の下には蜊(あさり)河岸という河岸があったそうだ。
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蜊、というからにはアサリが水揚げされていたことの名残だろうが、
『鬼平犯科帳』には、その下りが出てきた記憶がない。
# by waterways | 2011-11-14 16:36 | 水辺で旅する鬼平犯科帳